ねるねるねるね

主に感想考察とダイレクトマーケティング。そこらへんにいるジャニーズWESTのファンです。

プロ野球選手おたくたのしい

皆さまはじめまして!今回初めてしきさん(@shikishaa)主催「おたく楽しい」に参加させていただきます、16日担当のちゅんと申します。

www.adventar.org

 今回ですね、私が紹介したいテーマはプロ野球選手のおたくってどんな人~~~~~~!?

そうです、私、アイドルおたくでありつつ、とあるプロ野球選手を推しながらプロ野球を楽しむプロ野球ファンでもあります。プロ野球の何が面白いの?????テレビでもラジオでも延長しやがっていつも迷惑なんですけど!?おたくの皆さんがそう思っていること、知っています。それでも私は!プロ野球選手のおたくが楽しいと!そう伝えたい!!!

 1.プロ野球選手おたくの1年

まずはプロ野球選手のおたくの年間スケジュールを紹介。

1月:イベント参加、自主トレ見学、2月:春季キャンプ見学

3~9月:観戦!観戦!!観戦!!!

10月:秋季キャンプ見学、11月:国際試合、大会などあれば観戦、12月:イベント参加

野球の試合が行われる期間(シーズン)は3月末から9月末までの約半年ですが、ほぼほぼまるっと1年話題に事欠かないのプロ野球の特徴です。

シーズン中はとにかく観戦。私の場合は遠征も日程とお金があればほいほい行きます。球場ごとに食べられるごはんも違うし、遠征すると開場後に練習している姿をたくさん見られるメリットがあるので楽しさ倍増です。といいつつ負けたらやっぱり悔しい。

シーズン前の2月に春季キャンプ、シーズン終了直後の10月は秋季キャンプが行われます。春季キャンプは沖縄や九州といった暖かい場所でシーズンに向けて身体を作っていくぞ~~~~~!というトレーニング合宿のようなもので、その合宿風景を見学させてもらう為に我々おたくは沖縄に飛びます。キャンプ中はなかなかシーズン中に接触出来ない日本代表クラスの選手にもサインなどのファンサービスを頂けたり、直接差し入れすることが出来るの場合もあるのででおたくは毎年時間とお金をやりくりして各地に飛び立ちます。練習はどの選手もリラックスして行うので、笑顔だったり選手同士のからみがたくさん見られるのもキャンプならではの楽しみです。(おたく的視点)一方の秋季キャンプも春季キャンプと同じくトレーニング風景の見学になります。しかし主力と呼ばれる選手たちには自主練でおっけ~☆のお達しが下されるので、球場に来ない選手もいます。事実今年から私も秋季キャンプがなくなってしまい、遂にこの時が来たか・・・と嬉しいやらしんみりするやらという感じでした。

完全なオフシーズンは12月から1月になります。と言っても、おたくにオフなどありません!!!!選手が出演するイベントが!あるから!イベントと言っても様々なジャンルがあります。まずはちびっこ野球ボーイに優しく教える野球教室!をただひたすら見学。ミニトークショーが付いていることもあります。ちびっこと絡む推しを見られる楽しいイベントです。そしてトークショー!意外とプロ野球選手は話す機会が多いので、腕が立つ選手が多くてこれも楽しい。私服が見られたり、選手同士のエピソードトークがたくさん聞けるのがポイント高し。極めつけはランチ・ディナーショー!そうです、耳を疑わないで下さい。ディナーショーです。ディナーを食べた後、選手のトークを聞いたり、抽選会でサイン入りグッズを頂いたり、握手して頂いたり、写真撮って頂いたりなどなど、お金を出しただけの特典がてんこ盛りなイベントです。最近ではマスコットまでやってます。わたしの大好きなつばドアラです。

ドアラ・つば九郎2016 クリスマスディナーショー|名古屋観光ホテル

有名な選手になると選手個人の後援会(ファンクラブ)を持っている選手もいるので、後援会関係のイベントもこれに加わります。ボリュームたっぷり。

 

2.おたくの神器紹介

先ほどまでは主にオフシーズンのお話でしたが、ここからが本題の試合観戦のお話。私が試合観戦時に球場に持っていく選手おたくの神器を紹介します!

①選手レプユニ&タオル

ジャニヲタでいううちわ、ドルヲタでいうヲタTと大体活用法は同じです。球場で使って誰推しか表明したり(選手も自分のユニフォームやタオルを見つけると嬉しいみたい)、おたく同士の記念撮影、ご飯会で使ったり。屋外の球場だと単純に実用する機会が多いので「この子いいかも・・・♡」とぴんと来たらタオルはほいほい買ってしまう人が多いと思います。刺繍屋さんに頼んで無地のユニフォームの背中に推しの応援歌やがつっと漢字で名前を入れたりとユニフォームを自作するおたくもちょくちょくいます。ちなみに私は比較的どこの分野でも一途な人間なのでユニフォームは推しのものしか持ってないです。ホーム(本拠地)で着るものとビジター(遠征)で着るもの2種類を持っています。*1ちゃんと分ける派です。

 ②一眼レフ&望遠レンズ

これがないと始まらないでしょ~~~~~~~!!!!!ジャニヲタに説明するなら防振双眼鏡に近いかも。自分でステフォを撮影してる感覚に近いかな・・・。*2実際のところ肖像権の問題もあるので球団によってまちまちですが、私の応援している球団はファンが写真を撮影してどんどんSNSにアップして盛り上げて~!と寛容的なスタンスなのでありがたいです。選手おたくになってしまった以上いつかは持つのがカメラですが、防球ネットや金網を抜いて撮影したいとなると一眼を持つしかなくなってくる。そして望遠。ジャニヲタがレポをさくっとで上げる感覚でおたく同士でTwitterに今日の推しだったり、様々な選手の様子をさくっと上げて情報共有したり、話題の種にします。美しくかっこよく写し取られた姿を見ると、「私もこんなにかっこよく撮ってみたいな~!」なんて思うし、選手の姿の向こう側にあるスタンドの景色も一緒くたに美しく見えることもあります。カメラを持つと、ほんとうにたくさんの気づきがあるんです。気づかなかったことが見えてくるんです。そして何より自分の好きな選手を自分の記録として残せるのはとても嬉しいことで。プロ野球の世界は真剣なプロの世界だからこそ怪我が付き物なので、大きな怪我をしてしまったら1シーズンが丸々無くなってしまうことなんてざらにあります。1シーズンどころの騒ぎじゃなくなる時すらある。そのまま引退してしまう可能性だって、ある。だから今この瞬間と撮っておきたい、そう思うんです。推しのかっこいい瞬間を、かっこいいプレーの瞬間を収めたい、そしてたくさんの人に「この選手、こんなにかっこいいんだぜぇ~~~~!!!」と広めたい、そんな思いも一眼に込めて球場に向かいます。

 

3.おたくをやっていて嬉しかったこと

プロ野球選手を応援すると、辛いときもたくさんあります。これは「人」を対象にするおたくみんな同じだと思います。どんなに好きでも他人だから、出来ることなんてほんのちょこっとしかない。特にプロ野球の世界は厳しい世界です。使えなくなったらすぐに戦力外となってプロ野球選手であることをはく奪されてしまう結果が出ない時も、出場する機会すら貰えない時も、怪我で苦しんでいる時も、全てが勝負だからめちゃくちゃに批判されたりあーだーこーだ言われたりします。全ての情報をシャットアウトしたくなるほどに。だからこそそんな苦境を乗り越えて試合のヒーローになる物語に寄り添えるの喜びが抜群に大きいです。

私は若者だから失敗してもいいよ!のびのび元気に野球をしてね!なんて先輩たちに甘やかされながらも結果を出そうともがき続ける姿と抜群の笑顔が可愛くてどうしようもなかったことがきっかけで、とある選手のファンになりました。5年ぐらい前の話です。そこからチームは低迷を迎え、先輩たちはどんどん引退していくことになり、私の推しも本当に主力として成長しなければならない苦境に立たされました。怪我がちなこともあり、なかなかポテンシャルを最大限に発揮するのも難しくて何度も何度も悔しいことがありました。本人も悔しかっただろうけど、私も悔しかった。そんな中、去年転機が訪れまして。シーズンの調子がそこそこ良かったことがきっかけで、日本代表候補になり、さらには国際試合に出場してまぁ活躍したんですよ。たくさんプロ野球ファンに「あいつ、やるじゃん」って褒められたのがめちゃくちゃ嬉しかった。本人も試合を通して「自分はやれる」という確信が持てたようで、おたくやっている中で一番幸せなのはもしかしたら今なのかな?とさえ思いました。でもそれだけじゃ終わらなかった。年が明けて今年、また国際試合のメンバーに選ばれて試合に出ることになり、試合会場は私の応援するチームの本拠地でした。推しが大観衆の中で本拠地で日本代表としてプレーすること、どれだけかっこよくて幸せなことだろうか!!!うっきうきでドームに向かいました。名前がコールさせるだけで歓声の渦がスタンドを包み込み、打席に立てばドームが割れんばかりの大合唱が起こるあの空間全てが幸せだった。そしてやってくれたんです。この試合のヒーローになったんです。打った瞬間、歓声が最高潮に大きくなってこんな瞬間が来てもいいものなのかぁ!とむせび泣きました。こんな今まで積み上げてきてもの全てが報われる時が来ていいものかと。隣に座っていたおじさんに良かったねぇ・・・となだめられたのが記憶に新しいです。ただ元気でいればよかった若造が日本の代表として一番の活躍をするようになったんです、日本の野球を背負う瞬間があったんです。とにかく嬉しい以外の言葉が無かった。

私はアイドルおたくですし他人の人生を追うことを生業にしていると言っても過言ではないですが、プロ野球の選手を追うことは何が起こるか分からない野球というスポーツというエンターテイメントと一人の選手がプロフェッショナルとして成長していく過程をミックスして味わえることが一番たのしい!ことなんじゃないかな、と感じています。

 

おわりに

熱く熱く語ってきましたが、おたくはおたくなのです。鍛えれた体のパーツを観察してにやにやしたり、選手同士の関係性にやきもきしたり(?)、選手たちには申し訳ないほどにかなりソフトな話しか普段はしてないです。一旦ハマってみれば、ずるずると楽しめるのがプロ野球。最近は女性の姿もたくさん見ますし、選手おたくは一人で球場をうろうろしています。*3最後に私が今シーズン撮影した推しの写真を披露してこのプレゼンを締めたいと思います。

 f:id:neruneru813:20161217171447j:image

…恥ずかしいのでつばドアラで勘弁して下さい。プロ野球選手のおたく、たのしいです!/

*1:プロ野球には本拠地と遠征地では違うユニフォームを着用する決まりがあるのです。

*2:球団によっては即日で公式が撮影した写真を販売するところもあるのでステフォよりスピーディーで種類も豊富だったりする

*3:仲の良い知り合いがいても推しのポジションが違ったりすると行動がバラバラになったりする、活動を遮るようなことはお互いにしないのです

映画「溺れるナイフ」のあれこれ

映画「溺れるナイフ」を公開初日と先日と2回見ました。

「神さん」との出会い、喪失、そして永遠の「神さん」の獲得。

1回目は誰かを、何かを、神と称え、喪失し、絶望し、真の翼を授かる10代少女を通して自分の中で腐敗させ、そのまま臭いから蓋をしておいた全能感や「かみさま」の存在を今一度腹の底にぐりっとねじ込まれた感覚でした。2回目はコウちゃんの「神さん」と一体になり浮雲町にとどまり続ける絶望に思いっきり殴られて帰ってきました。2回ともラストシーンで何だか永遠を勝ち取れなかった自分に対するカタルシスに耐え切れなくて涙がぽろぽろこぼれてしまった……あのきゅーっと胸を掴まれる感覚はなんなのだろう……

 

 以下つらつらと。

○火祭りの夏芽とコウちゃん

襲われる夏芽と一人床に寝そべって泣く夏芽、そして夏芽を襲う男を殴り、夏芽を救おうとするコウちゃんと火祭りで踊るコウちゃんが混ざりあう終盤の火祭りのシーン。夏芽が襲われ、コウちゃんが救うシーンが本筋のストーリーであり、床に寝そべる夏芽は夏芽の心理、火祭りで踊るコウちゃんはコウちゃんの心理を表すシーンなのではないかなぁ...なんて思っています。

魂が吸い込まれるかの如く黙々と作り込んだ狐の面を被り、松明を振るい、激しく踊るコウちゃん。その仮面は「お前の身を捧げることになる」と神主として神に仕える父に忠告されるほど神聖でおぞましいものだった。そんな仮面を途中で彼は外し、憑りつかれたように力強く踊る。「仮面」は神に扮する為に着けるものであるはずなのに彼は途中で外す。

父の忠告は当たってしまった。コウちゃんと神さんは仮面をはずした瞬間、一体となったのだ。まさに身を捧げ、コウちゃんは夏芽の神さんとなったのだ。仮面を外したコウちゃんは燃えたぎる炎とと一体となって踊る。今度こそ夏芽を脅かす男を倒す。

夏芽は1人でコウちゃんを求める。涙を浮かべ、 コウちゃん、とつぶやく。あいつを殺して、男を殴るコウちゃんにつぶやく。そしてコウちゃんは松明を自身の身体の中心に立て跪いた。儀式は完成した。夏芽を犯す者は、夏芽を苦しめる者は、この世からいなくなった。

そして夏芽は永遠の神さんを獲得して元の世界へと旅立っていった。コウちゃんは夏芽の神さんとなり浮雲で人生を全うするのだろうか。

 

◯大友くんと重岡くん

大友くんという枠に重岡くんがぽたぽたーって重岡くん色の絵の具を垂らしていって少し枠からはみ出して滲んだ姿があの大友くんだったのかな、と感じました。

椿のシーンが印象的ですけど、個人的にはお見舞いに行ったシーンの「好きになんないよ?」「おう、俺友達でも良いよ」のやりとりが好きで。「好きになんないよ?」ってなんであんなに魅力的なんだろう……そのときめきを塗り重ねるかの如くその後友達でいいって言いつつあんなことしちゃう大友くんずるい...。あと長回しのシーンばかりの中でセリフを噛んでいる部分が多々あるのですが噛んでいるセリフがちょうどリアルな生活でも感情がぶれて噛んじゃいそうなものばかりなんですよね。偶然なのか、それとも重岡くん自身の感情のぶれで噛んでいるのか真相は謎なんですけど、より大友くんがすぐそこにいる感覚になれました。ちゃんとスクリーンの向こうで呼吸をしている人なんだなって耳と目で感じられる。

インタビューで役作りの話になると重岡くんは「自分の中に大友がいる」というような内容のお話をよくしていたように思います。役作りという言葉は文字通り「役を作る」作業な訳で、あくまでフィクションを自分の頭や身体で作り上げていくものなのかなっていうイメージがあって。けれど重岡くんの役作りに対する姿勢は重岡大毅というノンフィクションから作り上げられたものなんですよね。だからきっと眼差しにも声にも身体にも体温を感じる仕上りになったのかな、とも思うし、大友くんと重岡くんの境界線がぼやけたのかなとも思います。重岡くんがこの役を頂いた、と聞いてめちゃくちゃ羨ましかった。照史くんは男の子からすっ飛ばして男になった姿しか残っていないから今の私には男の子を超える瞬間の姿を知る術がほとんど無いから。重岡くんと重岡くんのファン、そしてこれから重岡くんに出会う全ての女の子が大友勝利を共有して生きていくのかと思うとハンカチ噛みちぎりたい気分だったけど、きっと照史くんが同じような役をもらったとしても芝居との向き合う形が違うから残したものは変わったのかな、だったらまぁいいか〜なんて諦めちゃいました。そのぐらい、大友くんは、重岡くんは特別だった。

 

○神さんとしてのコウちゃん

夏芽の視点から見るとコウちゃんは出会った時から別れの時まであの事件の後もずーっと「私の神さん」だったように思います。どんな時もコウちゃんの背中を追って、追い越しても追いつかれて追い越されて。けれどコウちゃんは1度地に堕ちた。誇り高く生きることは出来ないし、力を持つ夏芽の背中を押し続けることも出来ないと悟った。そして2度目の火祭りでコウちゃんは浮雲の神さんになってしまった。もう浮雲の神さんと生きるしか無い。私は夏芽のように遠くに行けるような特別な力を持っている人間でもないし、コウちゃんのような雰囲気を纏う人間では無いけれど、己への絶望と何かに縛られて生き続ける苦しさに胸が詰まる気持ちでした。いくら夏芽が前に進もうが、夏芽が神さんと呼ぼうが全く一歩も進めないどころか両足を縛れている人生。「永遠」の力を自分自身の力として得られなかった人生。あぁ、なんて恐ろしいのだろう。だからこそラストシーンでコウちゃんが笑っていたから泣いちゃうんだろうな。

 

全能感も、私には神さまがいる、という感覚を全て捨て去ってしまって地に堕ちた感覚も実感して、永遠を得ることが叶わないと知ったのが最近だったからこそ「溺れるナイフ」を通して身体に伝わる閃光が眩くて痛かったのかな、と思います。いつかまたこの映画を見たらもしかしたら鼻で笑ってしまうかもしれないし、また違う痛みを感じるかもしれない。もしあと5年早く出会っていたら、閃光にそのまま焼き尽くされてしまったのかもしれない。

山戸監督がこの映画を世の中に産み落としたこと、菅田くんが小松さんが重岡くんが上白石さんが演じてくれたこと、その事実に感謝したいと思います。